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旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

「日本奥地紀行」を読む

「日本奥地紀行」を読む (80) 新潟(新潟市) (1878/7/9)

今日からは、1878/7/9 付けの「第二十信」を見ていきます(普及版では「第十六信」に当たります)。 いやな天気 イザベラは、日光を 1878/6/24 に出発し、7/3 に新潟に到着しました。7/9 ということは、そろそろ一週間近く経ったことになりますね。 私は、新…

「日本奥地紀行」を読む (79) 新潟(新潟市) (1878/7/6)

引き続き 1878/7/6 付けの「第十九信」を見ていきます。イザベラ・バードの「日本奥地紀行」には、初版(完全版?)と普及版がありますが、この「第十九信」は「普及版」では丸々カットされた部分にあたります。 涅槃 新潟市の寺院を訪問したイザベラによる…

「日本奥地紀行」を読む (78) 新潟(新潟市) (1878/7/6)

今日からは 1878/7/6 付けの「第十九信」を見ていきます。イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(普及版)では、この「第十九信」は丸々カットされているので、その辺も念頭に置きながら読み進めてみましょう。 寺町 イザベラは、新潟の「寺町」という場所に…

「日本奥地紀行」を読む (新潟での伝道に関するノート (3))

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」("Unbeaten Tracks in Japan")には「完全版」と「普及版」がありますが、「普及版」は「完全版」からいくつかのエピソードがカットされています。「新潟での伝道に関するノート」もカットされたエピソードのひとつです…

「日本奥地紀行」を読む (新潟での伝道に関するノート (2))

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」("Unbeaten Tracks in Japan")には「完全版」と「普及版」がありますが、「普及版」は「完全版」からいくつかのエピソードがカットされています。「新潟での伝道に関するノート」もカットされたエピソードのひとつです…

「日本奥地紀行」を読む (新潟での伝道に関するノート (1))

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」には「完全版」「普及版」がある……という話は既にご存知のことかと思います。最初に世に出たものが「完全版」で、一部をカットした「普及版」が後に出てきたというのは面白いですよね(前後が逆のパターンが多いかと思い…

「日本奥地紀行」を読む (77) 津川(阿賀町)~新潟(新潟市) (1878/7/3)

引き続き、1878/7/4 付けの「第十五信」(初版では「第十八信」)を見ていきます。イザベラは津川から新潟まで、阿賀野川を船で下っていました。 河上の生活 阿賀野川は、左右に迫る山の間を縫うように流れていましたが、五泉のあたりからは新潟平野の中を流…

「日本奥地紀行」を読む (76) 津川(阿賀町) (1878/7/3)

今日からは、1878/7/4 付けの「第十五信」(初版では「第十八信」)を見ていきます。イザベラは、津川から新潟まで阿賀川を下ることにしたようです。 急ぎ 津川の宿からの出立は、想定外に慌ただしいものになったようです。 新潟行きの船は八時に出ることに…

「日本奥地紀行」を読む (75) 津川(阿賀町) (1878/7/2)

1878/7/2 付けの「第十四信」(初版では「第十七信」)を見ていきます。初版の「完全版」では漆に関する話題に脱線していましたが、ようやく純粋な旅行記に戻るようです。 津川の宿屋 イザベラ一行は津川(阿賀町)に投宿しました。宿屋は混雑していたものの…

「日本奥地紀行」を読む (74) 津川(阿賀町) (1878/7/2)

1878/7/2 付けの「第十四信」(初版では「第十七信」)を見ていきます。イザベラ一行は津川(阿賀町)に到着した……と思われます。 漆の木 日本奥地紀行「普及版」ではカットされた話題が続きます。続いては「漆の木」についての話題です。 漆の木 Rhus v. は…

「日本奥地紀行」を読む (73) 宝川(西会津町)~八木山(阿賀町) (1878/7/2)

1878/7/2 付けの「第十四信」(初版では「第十七信」)を見ていきます。イザベラ一行は車峠の宿を出発し、津川(阿賀町)を目指します。 ひどい道路 眺めの良い部屋でオフを過ごしてリフレッシュした筈のイザベラ姐さんですが、翌朝は……平常運転と言いますか…

「日本奥地紀行」を読む (72) 車峠(西会津町) (1878/6/30~7/1)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。イザベラ一行は、車峠の頂上付近の宿で日曜日を過ごすことにしたようです。 宿の台所 車峠の眺望絶佳の宿を切り盛りしていたのは女主人でした。この女主人のことを、イザベ…

「日本奥地紀行」を読む (71) 野尻(西会津町) (1878/6/29)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。イザベラ一行は、阿賀野川に沿って北上して「野尻」の村落にやってきました。 美しい宿屋 イザベラの「野尻」の第一印象は、かなり良いものだったようです。 日暮れ時に野尻…

「日本奥地紀行」を読む (70) 片門(会津坂下町)~野沢(西会津町) (1878/6/29)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。イザベラ一行は片門(会津坂下町)での小休止の後、更に西に向かいます。 山の景色 イザベラ一行は……途中で落馬した伊藤少年を除いて……会津坂下町の片門から西に向かいまし…

「日本奥地紀行」を読む (69) 坂下(会津坂下町)~片門(会津坂下町) (1878/6/30)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。会津坂下での一夜が明けて、出立しようとしたイザベラを、またしても大勢の群衆が取り囲みます。 群衆の臆病さ イザベラを取り囲んだ群衆は、イザベラのあるアクションを目…

「日本奥地紀行」を読む (68) 高田(会津美里町)~坂下(会津坂下町) (1878/6/28~29)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。イザベラ一行はいつもの「招かれざる大歓迎」を受けて、ほうほうの体で高田(会津美里町)を脱出した……と思われたのですが、実はさらっと「社会見学」も済ませていたようで…

「日本奥地紀行」を読む (67) 市川~高田(会津美里町)(1878/6/28)

今日からは、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。と言っても、第十二信と日付が同じなので、事実上続編のようなものですが……。 若松平野 イザベラ一行は、会津美里町の「市川」から、現在の県道 330 号を北上して会津盆地…

「日本奥地紀行」を読む (66) 大内宿(下郷町)~市川(会津美里町) (1878/6/27~28)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十二信(完)」(本来は「第十五信(完)」となる)を見ていきます。会津田島を発ったイザベラ一行は、会津西街道(下野街道)を北へと向かいます。 波形の道路 現在、会津田島から会津若松に向かうメインルートは阿賀川沿い…

「日本奥地紀行」を読む (65) 田島(南会津町) (1878/6/27)

今日からは、1878/6/30 付けの「第十二信(完)」(本来は「第十五信(完)」となる)を見ていきます。川島を出発して、田島(会津田島)に到着したところから話が始まります。 日本の渡し場 イザベラ一行は、川島から約 6 km ほど先にある田島(会津田島)…

「日本奥地紀行」を読む (64) 川島(南会津町) (1878/6/27)

引き続き 1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。川島宿を出発したイザベラが、庶民の暮らしがいかに不衛生なものであるかを再認識するところから話は始まります。 不衛生的な家々 まずは服装の話題から始まります。 こ…

「日本奥地紀行」を読む (63) 川島(南会津町) (1878/6/26)

引き続き 1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。イザベラが「ずっとひどい」「まったくひどい」と評した宿で、宿の主人の息子が咳で苦しんでいるのを見かけたところから話は始まります。 病気の群衆 イザベラは見るに見…

「日本奥地紀行」を読む (62) 川島(南会津町) (1878/6/26)

引き続き 1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。イザベラ一行は半ば力尽きる形で「川島」(現在の南会津町)の宿屋にたどり着きましたが…… さらにひどく イザベラは、「カヤジマ」こと川島での宿を「藤原のときよりもず…

「日本奥地紀行」を読む (61) 五十里~川島 (1878/6/26)

今日からは、1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。第十二信は「車峠にて」と記されていますので、西会津町の「上野尻」あるいは「下野尻」のあたりまでたどり着いたようですね。六日間の苦闘の記録は、五十里から再び…

「日本奥地紀行」を読む (60) 川治温泉~五十里 (1878/6/25)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 ばかばかしい間違い 川治温泉での「ばかばかしい間違い」のあと、イザベラはこの日の最終目的地である五十里に向かいます。 私たちはそこを出発した。五十里(イカリ)…

「日本奥地紀行」を読む (59) 藤原~川治温泉 (1878/6/25)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 馬の草履 イザベラ一行は、藤原(現在の日光市藤原)を出発して、次の目的地・高原(現在の川治温泉付近)を目指します。新藤原から川治温泉までは、現在は野岩鉄道で …

「日本奥地紀行」を読む (58) 藤原 (1878/6/24~25)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 私の召使い 今回は、久々の伊藤少年(伊藤鶴吉)特集です(笑)。伊藤少年はイザベラの通訳兼雑用係として旅に同行していますが、推薦状を持参せずにイザベラの前に現れ…

「日本奥地紀行」を読む (57) 小佐越~藤原 (1878/6/24)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。イザベラは現在の日光市小佐越(旧・塩谷郡藤原町)にやってきました。 私の馬子 イザベラは日光から馬を乗り継ぎながら小佐越までやってきましたが、馬をレンタルする…

「日本奥地紀行」を読む (56) 小百~小佐越 (1878/6/24)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。イザベラは日光を出発して、小百(旧・今市市)というところにやってきました。 馬に勒(くつわ)をつける イザベラ一行は日光から小百まで馬に乗って(場所によっては…

「日本奥地紀行」を読む (55) 日光~小百 (1878/6/24)

今日からは、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。ついに本格的な「奥地紀行」が始まります。 安楽な生活去る 第十一信は実に印象的な書き出しで始まりました。 伊藤に知らせてくれた人の言う通りだった。安楽な生活は…

「日本奥地紀行」を読む (54) 日光 (1878/6/23)

今日も引き続き、1878/6/23 付けの「第十信(完)」(本来は「第十三信(完)」となる)を見ていきます。ついに……と言うか、ようやくと言うか、日光から先の旅程が少しずつ見えてきました。 旅行の準備 「明日には私は、ぜいたくな生活に別れを告げて、奥地…