Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「日本奥地紀行」を読む (22) 東京 (1878/6/7)

1878/6/7 付けの「第四信」より、「伊藤少年大いに語るの巻」(←)をお届けします。 伊藤の第一印象(続) 通訳 兼 召使いの人選に苦心していたイザベラのもとにやってきた伊藤少年でしたが、その登場の仕方は決して颯爽としたものではなく、むしろその真逆…

道東の旅 2011/春 (30) 「きのこの里とたけのこの山」

まずは遠軽方面に 旭川紋別道の(現時点での)終点、「丸瀬布 IC」を出て、国道 333 号を遠軽方面に向かいます。 なんか、その……。いかにも道東っぽい雰囲気の道路になってきました。鬱蒼としているわけでもなく、さりとてポツンポツンと言うにはちょっと多…

道東の旅 2011/春 (29) 「丸瀬布」

若葉のころ 北見紋別道の浮島 IC のあたりには、思った以上に雪がたくさん……。 そして、ここからしばらくは追い越し車線があるのですが、頭上には「スリップ注意」の文字が……。うー、もう 5 月だと言うのに。First of May だと言うのに。 日本海側からオホー…

道東の旅 2011/春 (28) 「春なのに~」

回る川の本筋 旭川紋別道の「上川層雲峡 IC」から先は、未踏のエリアです。さて、前方にトンネルが見えてきましたが、その手前に高架橋があるようです。 「チカリベツ橋」とありますね。カナ表記の下にはローマ字で "Chikaribetsu Bridge" とあります。……こ…

道東の旅 2011/春 (27) 「天幕」

新直轄方式の光と影 「旭川紋別道」は、新直轄方式という仕組みで建設されたので、通行料はずーっと無料です(最初から料金所も設けられていない)。これはまぁ嬉しい話なのですが、その弊害?として、PA や SA などが存在しません。そのため、トイレに行き…

道東の旅 2011/春 (26) 「愛の別れへは右折を二回」

当麻町から愛別へ 当麻町の国道 39 号線を北見方面に向けて進みます。 う、ここからは対面交通ですね。 道路異常を発見したら 片側一車線の道が続きます。 しばらく走っていると……お、何やら案内板が見えてきました。 はい、旭川紋別道の「愛別 IC」まで約 6…

「日本奥地紀行」を読む (21) 東京 (1878/6/7)

今日も引き続き、イザベラさんちの面接模様を見ていきましょう(手を抜いてみた)。 召使を雇う(続) というわけで、通訳兼召使いを求人中のイザベラさん、「日本のダンディ」は願い下げでしたが、有力候補はあと二人残っています。 次はたいそうりっぱな顔…

「日本奥地紀行」を読む (20) 東京 (1878/6/7)

引き続き 1878/6/7 の「第四信」を見ていきます(本来は「第六信」でした)。 召使を雇う 前のセンテンス「中国人の買弁」は、普及版の「日本奥地紀行」ではバッサリとカットされていましたが、ここからの「召使を雇う」は、普及版にもしっかりと収められて…

道東の旅 2011/春 (25) 「ご覧のスポンサーの提供でお送りします」

北海道っぽい 旭川市の中心部から、国道 39 号を北東に進んでいると…… 「山岡家」だったり、 「オカモト セルフ」だったり、 北海道ではセイコーマートなみの露出度を感じる「ツルハ」だったり、なんとなーく「北海道っぽい」お店がたくさんあって嬉しくなり…

道東の旅 2011/春 (24) 「旭橋と常盤ロータリー」

難易度:やや高 旭川鷹栖 IC を出て、まずは国道 12 号線に合流するのですが、 旭川の中心部に向かうので、すぐに右折します。 これ、事前に道を知っていないとちょっと難易度高いかも知れません。私は阪神高速で鍛えている(←)ので、特に問題無く左から右…

道東の旅 2011/春 (23) 「そんな時代もあったねと」

江東区じゃないほうの深川 深川留萌道の終点、「深川 JCT」が近づいてきました。 ここからは、道央道を旭川に向かいます。 道央道に流入しました。見慣れない色の看板がありますが、これはまさか…… いや、違いますね(汗)。「冬 道 車 間 160m」とあります…

懲りずに復活! アイヌ語地名の傾向と対策 (60) 「苗穂・雁来・米里・江別」

はい、懐かしのあの企画が帰ってまいりました。「北海道(道東)の旅 2011/春」の旅程をトレースしながら、行く先々のアイヌ語地名を愛でて回ろうというマニアックな企画です。※ 記事の文中に、一部、現代では差別的に聞こえる表現もあるかも知れませんが、…

道東の旅 2011/春 (22) 「深川留萌道から道央道へ」

深川留萌道へ ガソリンもほぼ満タンになったことですので、先へと急ぎましょう。「深川留萌道」の沼田 IC が見えてきました。 深川留萌道の「深川西 IC」までは、新直轄方式で建設されたのか、無料で通行できるようです。本線に合流してみると…… 残念ながら…

「日本奥地紀行」を読む (19) 東京 (1878/6/7)

引き続き、今日も 1878/6/7 の「第四信」(本来は「第六信」)を見ていきます。 中国人の買弁 普及版ではカットされている「中国人の買弁」というセンテンスを見ていきます。 到着後1時間以内で、買弁という新しい単語を耳にする。そして、まさに買弁として…

「日本奥地紀行」を読む (18) 東京 (1878/6/7)

引き続き、今日も 1878/6/7 の「第四信」(本来は「第六信」)を見ていきます。 横浜の山の手 先週は、横浜の「ヘボン博士」の家に遊びに行ったところまで、でした。引き続き、普及版「日本奥地紀行」ではバッサリとカットされている部分を見ていきます。 断…

道東の旅 2011/春 (21) 「こ、これは……!」

シュールな光景? というわけで、無事にお昼ごはんも頂いたので(基本的に無計画なものですから、昼食にありつけないことも少なくないのです)、再び出発!しましょう。 ガソリンそろそろ終了のお知らせ音 ……と思ってエンジンを始動させてみたのですが、「ぴ…

道東の旅 2011/春 (20) 「ジーパンのその後(←」

なんじゃこりゃああ…… とりあえず「お昼ごはんでも食べよう」と思って、道の駅「サンフラワー北竜」なるところを目指したのですが…… 「なんじゃこりゃああ……™」というところで前回は終了しましたので、ジーパンのその後をご覧いただきます。 この感じはどこ…

道東の旅 2011/春 (19) 「面白い内川さんは増毛疑惑でヤリキレナイ」

旅の恥は受け付けてません 「この辺に松浦武四郎さんが泊まった記念の碑」の近所には、こんな空き地が。 なにやら看板があるのですが……ふむふむ? なるほど。ここは「雪捨場」なのだそうです。ということは、このあたりもそこそこ降雪があるということですね…

道東の旅 2011/春 (18) 「北海道人(ただし三重県出身)の足跡をたどる」

ベストショットを目指して そんなわけで、雨竜町に「面白内川」を見に行って、こんな写真を撮影することに成功したわけですが、 どうせだったら、こんな写真が撮りたいなぁ……というわけで、 少しウロウロしてみることにしました。 足下に春の息吹が ……お。な…

道東の旅 2011/春 (17) 「いつにも増して面白く無い」

筆者敬白 本日は、いつにも増して「おもしろない」内容(当社比 138 %)でお届けします。 雨竜町は面白いか? 雨竜町にやってきました。 「雨竜町」の名前は、ここからちょいと北にある「朱鞠内湖」のあたりを源流とする「雨竜川」に由来するもの……だと思い…

「日本奥地紀行」を読む (17) 東京 (1878/6/7)

今日からは、1878/6/7 の「第四信」(本来は「第六信」)を見ていきましょう。 ヘボン博士 「第三信」では、新橋から麹町の英国大使館に行って……という話でしたが、また横浜の話になります。この間、イザベラはどこに滞在していたのかは(普及版の読者には)…

「日本奥地紀行」を読む (16) 東京 (1878/5/24)

引き続き、今週も 1878/5/24 付けの「第三信」を見ていきます。もうちょいとだけおつきあいくださいませ。 英国人の家庭(続) 長かった「第三信」も、ようやく終わりが見えてきました。最後に出てきたのはあの人!です。 公使館の日本書記官は、アーネスト…

道東の旅 2011/春 (16) 「雨竜町と黄色い看板」

新十津川を後にして 新十津川駅を後にして、再び国道 275 号を北上します。 この川は、新十津川町の中を流れる「徳富川」という川のようです。 尾白利加 続いては「おしらりか川」という川を渡ります。 「おしらりか」は、「尾白利加」という漢字が当てられ…

道東の旅 2011/春 (15) 「【歓】ようこそ新十津川へ【迎】」

バリアフリーではありませんが ホーム側のガラス戸を開けて、ホームに出てみましょう。 4 段ほどの階段を昇れば、すぐそこがプラットホームです。 紛うことなく現役の駅です 札幌方面を見てみると…… 線路は一本のみで、ワンマン運転用のホームミラーが見えま…

道東の旅 2011/春 (14) 「『新十津川駅』探訪」

正解はこちら! えーと、この「どこだろう?」という場所ですが…… 正解はこちら! はい。JR 札沼線の現在の終着駅・新十津川駅です。新十津川駅と言えば、島田荘司さんの「奇想、天を動かす」にも登場する駅ですね。 「沼」の由来 「札沼線」は、札幌から「…

道東の旅 2011/春 (13) 「地方費道って?」

(旧)地方費道札幌稚内線 この、一見何の変哲も無い道路なんですが、実は…… 札沼線の踏切を渡って国道に戻ろうとした時に、答?が見つかりました。 小雨が降る中、窓も開けずに写真を撮影しようとしたところ、この体たらくです。というわけで、ほんの少しだ…

道東の旅 2011/春 (12) 「高架橋のようなもの」

謎の高架?橋 浦臼の駅前を通り過ぎ、一路「新十津川」に向かっていたところ……、左手になにやら気になるものが見えてきました。 見たところ、鉄道の線路のようにも見えます。しかしながら、札沼線は少し国道に近いところに現存しています。となると、何らか…

「日本奥地紀行」を読む (15) 東京 (1878/5/24)

えー、懲りずに 1878/5/24 付けの「第三信」を見ていきます。いい加減なんとかしないと……。 東京の第一印象(続) では、「東京の第一印象」と題されたセンテンスの続きを見てみましょう。 何百台という人力車(クルマ)や幌馬車が、駅の外で待っていた。馬…

「日本奥地紀行」を読む (14) 東京 (1878/5/24)

1878/5/24 付けの「第三信」を見ていきます。……本当にこの「第三信」は内容が豊富ですね。 風変わりな姿 「風変わりな姿」と題された、日本人の格好に関するセンテンスでは…… 女性はとても小柄で、よちよち歩いている。子どもたちは、かしこまった顔をしてい…

道東の旅 2011/春 (11) 「刑務所はお気軽にオープン中」

刑務所はお気軽にオープン中 というわけで、1881 年に設置された……と思いきや、実は開所したのは 1983 年だったという「月形刑務所」にやってきました(なんで 102 年もズレてるのかは昨日の記事をご覧くださいませ)。 そして、この看板のちょと横には…… 「…